今宵の宿、乳頭温泉・鶴の湯へ向かいます。冬季通行止めがあり遠回りをさせられます。

鶴の湯温泉は乳頭山(1478m)の麓の乳頭温泉郷(にゅうとうおんせんきょう)の八軒のうちの一軒で同温泉郷の中でも最も古くからある温泉宿です。古くは寛永15年(1638年)に二代目秋田藩主 佐竹義隆が、寛文1年(1661年)に亀田岩城玄蕃が鶴の湯に湯治訪れたといわれています。一般客相手の湯宿としての記録は元禄時代(1688~1704年)から残っています。鶴の湯の名前の由来は地元の猟師.勘助が猟の際に傷ついた鶴が湯で傷を癒すのを見つけ事がそのまま鶴の湯の名に残ったのだといいます。

乳頭温泉 鶴の湯

部屋は色々ありますが、新本陣の8畳の部屋に泊まりました。

白湯

美人の湯。別名冷えの湯、含硫黄ナトリウム・カルシウム塩化物・炭酸水素泉(硫化水素型)

眼っこの湯。含重曹・食塩硫化水素泉

中の湯

混浴露天風呂

夕食

みちのく東北温泉巡り 2012年3月6日~9日

3月8日(木)続き

尾去沢鉱山

冷蔵庫もテレビもありません。天然の冷蔵庫がありました。雪止めの板に挟んでいます。おやすみなさい。

尾去沢鉱山は、はるか昔、和銅元年(708年)に発見されたと云われ、その産金は、奈良の大仏様や、平泉の金色堂にも使われたと語り継がれています。南部藩の記録では、慶長3年(1598年)に金山が発見され、やがて銅山として栄えました。300年も鎖国が続いた江戸時代には幕府の御用銅として長崎に送られ、南蛮渡来の珍品や西洋の文化と交換され、遠くヨーロッパまで運ばれました。明治以降、我が国の急速な近代化と共に三菱の経営となり、有数の銅鉱山に発展しましたが、やがて、昭和53年(1978年)限りある資源を掘り終わり閉山しました。その後近代採掘の大空洞や江戸時代の手掘りの坑道を公開し、地底探検を楽しみながら1200年の鉱山の歴史を訪ねる地底博物館として復活しました。

橋場温泉はしばの湯

立ち寄り湯です。