太宰の宿「ふかうら文学館」

山車は津軽藩四代藩主信政公の時代に、天和2年(1682年)8月15日の弘前八幡宮祭礼の際に各町内会の若者達によって繰り出されたのが始まりとされています。弘前市の山車は、京都の祇園祭、大阪の天満宮、江戸の三社祭の影響を受け京都から移入した由緒あるものです。

朝食はバイキングです

「日本の水浴場55選」、「日本の夕陽百選」に選ばれている千畳敷海岸は、1792年(寛政4年)の地震により隆起して出来た岩床の海岸です。その昔、殿様が千畳の畳を敷き酒宴を催したといわれる岩棚が広大に続いています。

雪は深いです。道に折れた枝が落ちていて進路をふさいでいます。4輪駆動なのでなんとか超えていくことが出来ました。青森県の日本海側にある不老不死温泉に向いますが途中何か所か立ち寄ります。

みちのく東北温泉巡り 2012年3月6日~9日

太宰治、大町桂月、成田千空の三人の作家をメイン展示とし、深浦にゆかりのある文人たちも紹介しています。太宰治が宿泊した旧秋田屋旅館を改築したもので、ほっとしたくつろぎの中で、文学的な雰囲気に浸ることが出来ます。

明治39年3月に斎藤主・堀江佐吉らが東奥義塾高校の敷地内に建て、昭和6年まで弘前市立図書館でした。図書館の移転に伴い、それ以降は富野町に移築されて下宿や喫茶店に利用されました。八角形の双塔を持つルネッサンス様式で、外壁はしっくい塗りで仕上げられています。この建物は平成2年7月に市制施行百周年の記念施設として、現在地に修復・復元されました。平成5年には青森県重宝に指定されています。図書室と評議室と婦人閲覧室があります。

この建物は、青森県で最初の銀行である旧第五十九銀行の本店として明治37年に建てられました。構造はルネッサンス様式で、設計・施工は堀江佐吉。防火の為に日本の土蔵造りを取り入れています。青森県の重要文化財に指定されています。一階は古札とコインが展示され、二階では斜陽館も手がけた堀江佐吉のモダンな建築や装飾が見られます。 しかし残念ながら冬季は休館です。

青森銀行記念館

続く

八森いさりび温泉に立ち寄る

ミニチュア建造物群

弘前市の追手門広場にある歴史的ミニチュア建造物群は、明治・大正時代に当市に建築され、市民に親しまれてきた、文化財指定の洋館などを十分の一の大きさで再現したものです。旧弘前市役所や青森銀行記念館、旧市立図書館、旧弘前偕行社など、現在14棟が展示されております。がしかし雪に埋もれて見ることが出来ません。看板の写真だけ見てください。

旧弘前市立図書館

特別史跡三内丸山遺跡は日本最大級の縄文集落跡です。発掘調査によって当時の自然環境や生活、ムラの様子などの解明が進められています。遺跡は通年で公開され、自由に見学することができます。三内丸山遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。平成4年からの発掘調査で、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかり、集落全体の様子や当時の自然環境などが具体的にわかりました。また、膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土しています。ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培植物が出土し、DNA分析によりクリの栽培が明らかになるなど、数多くの発見が縄文文化のイメージを大きく変えました。平成12年11月には国特別史跡に指定されました。

夜のうちに少し雪が降ったようです。

3月7日(水)

円坂上田村麻呂が陣中で使ったかけ仏と、聖徳太子の作と云われる十一面観音が安置されたのが起源と伝えられるこのお寺には、 国の重要文化財に指定されている「薬師堂内厨子」や日本最古といわれる「北国船の船絵馬」等が奉納されています。坂上田村麻呂が安置したと伝えられるご本尊は三十三年目毎のご開帳で、次回は平成三十年七月十七日開白の運びです。

円覚寺

千畳敷海岸

山車展示館

旧東奥義塾外人教師館

東奥義塾は、明治5年に県内で最初に開校した私学校です。慶応義塾にならい実学を重視して文明開化を学ぶために外国人宣教師を招聘しました。この建物は、同校に招かれた外人宣教師の生活のため、明治34年に建てられました。昭和45年まで、歴代の外国人教師がここに居住していました。一家で住める住宅なので、子供部屋もあります。

三内丸山遺跡