朝食も結構豪華なのが出てきた。湯豆腐は目の前で作ってくれた。
桃山文化の粋が結集されている二条城は、慶長8年(1603)徳川家康が、
京都御所の守護と将軍上洛の際の宿所として造営し、その後、寛永3年(
1626)三代将軍家光が後水尾天皇を迎えるために大改修が行われ大体
いまの体裁を整えました。
桃山時代武家風書院造りの代表的なもので、城へ参上した大名の控室の
「遠侍」・参上した大名が老中職と挨拶を交した「式台」・将軍が外様大名に
対面した部屋で、慶応3年(1867)には十五代将軍慶喜が大政奉還を発表し
、徳川幕府265年の幕を閉じた歴史的な部屋でもある「大広間」・「蘇鉄の間
」・「黒書院」・将軍の居間と寝室の「白書院」の6棟が雁行に立ちならんでい
ます。部屋数33、畳は800畳余り敷かれています。
各部屋の襖絵は狩野派の手によるもので、部屋の目的に応じて描かれて
います。また欄間の彫刻、飾金具、長押(なげし)に打たれた花熨斗形(はな
のしがた)の釘隠しなどは、金飾あざやかに豪華を極めています。
御殿内は当時の様子を表わした人形などが置いてあり、テープで各部屋ご
との説明が聞けるようになっており、わかりやすく観覧できるようになってい
ます。 残念ながら内部の撮影は出来ない。
小掘遠州の作庭で池泉回遊式庭園で、大広間から眺められるよう造られ
たものです。蓬莱島・鶴島・亀島の三島を置き、四つの橋を架け、西北隅に
滝を落とし、池の汀に多くの岩石を配した景観は変化に富んで秀麗であり
豪壮な趣があります。
二の丸から本丸へとつづいていますが、城郭跡を 偲ばせる雰囲気です。
現在の建物は、もと京都御所にあった旧桂宮御殿を 移築したもので、な
るほど雅やかな公家風の趣 があります。
↑ 二の丸御殿の正門とともに伏見城の遺構と伝えら れており、
唐破風造りに豪華な彫刻美が施されて います。
幕末の渡米から戻った後、同志社を創立した新島襄の私邸です。
当時ではまだ珍しかったベッドやイスなど、彼の愛用していた家具もふく
め新島襄が暮らした様子をそのまま保存されています。
京都御苑の東側、寺町通りに面して建つこの神社は、明治維新の功労者と
して知られる、三条実万(さねつむ)・実美(さねとみ)父子を祀る神社です。実
万が安政の大獄で剃髪して引退したのち、三条家の旧邸に明治18年に創
建されたものです。
正式名を慮山天台講寺というこのお寺は、天慶元年(938年)に元三大師(慈
恵大師)によって船岡山に創建されましたが、元亀二年(1571年)に織田信長
の焼き打ちをまぬがれ、現在地に移されました。また、皇室の帰依が厚く、
皇室関係の陵墓も多くあります。
京都御所は、南北朝時代の光厳天皇が元弘元年(1331)に里内裏だった土御門東
洞院殿を皇居と定めたものです。以後、信長、秀吉、家康らが修理、造営を行い
ましたが焼失し、現在の建物は総奉行・松平定信によって安政2年(1855)古制に
のっとって再現されたものです。
御所に入るには1日前に登録しておく必要がある。しかし外国人の場合はこの限り
でなく申請した日に入れてくれる。台湾の連れがいたので1時に申請をして2時から
始まる英語のツアーに参加出来た。最初待合室に通されTVで御所の説明ビデオ
を見せられた。その後英語のガイドと一緒に御所内を見学した。
正式に参内した者の控えの間で、身分に応じて異なる部屋に控えた。奥の絵にちなんで『虎の間』『鶴の間』『桜の間』と呼ばれる。
御所の正殿ともいわれる「紫宸殿」は、即位の大礼など大儀が行われるとこ
ろで、檜皮葺、総桧造りの清楚な感じの建物です。
平安時代の内裏では、天皇の日常生活の場として使われた御殿であった。この建物は、平安時代のものよりも小さくなっているが、よく古制を伝えている。
小御所と御学問所の前に広がる大きな池が御池庭である。1611年徳川
家康が内裏の工事に着手した際御池庭を造成した。1619年徳川和子
が入内。女御御殿が拡張され小堀遠州によって御池庭が修造された。
小御所と御学問所の囲まれた場所のある砂利の広場。
小御所/御学問所
七夕や盂蘭盆会などの内向きの行事に使われた。
足利8代将軍義政が、祖父の義満が建てた金閣寺にならって、文明14年
(1482)に山荘の東山殿を建立したのがはじまりです。義政の死後、彼の遺
言により臨済宗相国寺派の寺に改められ慈照寺となりました。
特別名勝、特別史跡の庭園は西芳寺(苔寺)の庭園を模して義政と善阿弥の
指導によって作庭されたものです。上下2段に大別され、上段は枯山水庭園
、下段は池泉回遊式庭園で中央に錦鏡池が広がっています。また柿葺の屋
根を持つ観音殿(銀閣)は下層が心空殿と呼ばれる住宅、上層が聴音閣と呼
ばれる仏堂になっており2つの様式を組み合わせた建物になっています。
義政公は諸芸道の達人を東求堂に集め、芸術三昧の晩年を過ごしたとされ
ています。その舞台となったのが東求堂内の同仁斎で、現存する最古の書
院造りで四畳半茶室の原型と伝えられています。金閣寺の北山文化の華や
かさに比べて、ここ銀閣寺は東山文化の「わび・さび」の世界を漂わせている
ところです。
明治28年(1895年)平安遷都1100年記念に、平安京大内裏の正庁を
模して造られました。本殿の裏に広がる広大な神苑は、東苑、中苑
、西苑、南苑の4つに分かれた回転式遊苑で、明治・大正期の庭園
の傑作とされています。祭神は恒武天皇と孝明天皇(昭和15年に合
祀)です。
社殿の背後を囲むようにして位置する神苑は広さ3万平方メートル
あります。入り口を見落としがちな為注意したいところです。ここでは
3月下旬頃から桜、5月10日前後にカキツバタ、5月下旬〜6月上旬に
花菖蒲が咲きます。また、京都三大祭りの一つである時代祭りはこ
の平安神宮がゴールです。薪能は6月1日〜2日に行われます。丁度
行った時は沢山の人が入場を待っていました。