吹屋の町並み保存地区
旧折井家
備中高梁と湯郷温泉ドライブ旅行
湯郷温泉・花の宿にしき園
武家屋敷
2012年1月4日5日

湯郷温泉は吉野川西岸に位置する、約1200年前に延暦寺の円仁法師が白鷺が足の傷を癒すのを見ていで湯を発見したと伝えられる、別名「鷺の湯」とも言われる古湯。奥津温泉、湯原温泉とともに美作三湯と呼ばれている。

花の宿にしき園の館内は押花、生花を飾り、しっとりとした中にも華やかさのある和風旅館。明るく開放的な内風呂と城跡をイメージした庭園露天風呂は星空を満喫できます。

ベンガラの町を後にして湯郷へ

中国自動車道新見インターから乗って美作インターまで行きます。しかし予定外の雪です。新見インターではタイヤ規制が始まるところでしたが、始まる少し前に高速に乗ることが出来ました。しかし問題はタイヤがノーマルなのです。雪が降るとまずいことになりますが、タイヤ規制があるぐらいですから、どんどん降ってきます。路面に雪が多くなってきたので冷や汗ものです。しかし高速を降りても雪があるので、そのまま走行。何とか美作までたどり着くことが出来ました。天気予報に頼ってノーマルタイヤで出かけたことが失敗でした。反省!

朝の8時に大阪/高槻を出発しました。車は本田のフィットで、運転手ではないので眠りながら移動です。名神、中国、山陽自動車道と乗り継いでまずは岡山県の高梁市へ向かいます。鎌倉時代から770年もの歴史を持つ備中高梁の町は、ゆかしい町並みの「小京都」と呼ばれています。

ベンガラ館

高梁の美観地区としてぜひ訪れたいスポット。高梁川に流れ込む谷川に沿って桜と柳の美しい並木が続く。この谷川はもともと備中松山城の外堀としていたもの。橋のたもとには石灯籠や恵比寿宮があり、藩校有終館跡、県下最古の高梁キリスト教会堂といったみどころも日本の道100選に選ばれた川沿いに立ち並ぶ。

温泉

この建物は、今から一七〇年前(天保年間)に建てられたもので、二〇〇石前後の武士が住んでいたものです。母屋と長屋門からなり、母屋は書院造り、また中庭の池や庭石、踏み石などはほぼ昔のままでありその庭に面して資料館があります

岡山県の高梁市から湯郷温泉に行ってきました。

備中松山城
植原家
高梁市へ向かう

 『”つわものどもが 夢の跡” 在りし日のもののふの鼓動を感じて』標高430mの臥牛山頂上付近に建つ天守は、国の重要文化財で、現存天守を持つ山城としては最も高い所にあります。鎌倉時代、有漢郷(現高梁市有漢町)の地頭秋庭重信が大松山に城を築いたのを起源とし、1683(天和三)年に水谷勝宗によって3年がかりで修築され、今の天守の姿になりました。この地は山陰と山陽を結び、東西の主要街道も交差する要地であるため、戦国時代は激しい争奪戦が絶えず、目まぐるしく城主交代が繰り返されています。登城坂の周囲は、高さ10m以上の巨大で切り立った岩壁がそびえ、昔日のつわものたちが舌を巻いた”難攻不落の名城”の面影をうかがい知ることができます。白い漆喰塗りの壁と黒い腰板のコントラスト、空の青に映える美しい天守。秋には大手門付近の木々が紅葉し、岩壁が燃えるような朱色に覆われる景色は圧巻です。

お城までは700mの上り坂です。脂肪という荷物を背負っている小生には、非常にきつい。

紺屋川美観地区

標高550メートルの山嶺に塗込造りベンガラ格子の堂々たる町家が建ち並んでいるのは江戸時代から明治にかけて中国第一の鉱山町に加えて、江戸末期からベンガラという特産品の生産が重なり、当時の工鉱業地として大いに繁盛した面影である。幕末から明治にかけて、吹屋はむしろ「弁柄(べんがら)の町」として全国に知られていた。

江戸時代中期から後期にかけて、一二〇石から一五〇石取りで、近習役や番頭役などを勤めた武士の住宅である。松山城下の武家屋敷としては、寺院建築や数寄屋風の要素を取り入れた珍しい造りであり、市の重要文化財に指定されている。山田方谷資料室もあり山田方谷の資料を見ることができる。

玄関では人形がお辞儀をしてくれます。

夕食

ベンガラは、江戸中期に全国で初めて吹屋で生産されて以来、大正時代まで陶磁器や建築などに使用されていた赤色顔料。明治時代のベンガラ工場を復元した資料館で、吹屋ベンガラの製造工程を見学できる。

おやすみなさい