なぜ、赤の広場と言うか?17世紀になってこの広場を整理して美しくしたので「美しい広場」と呼ばれるようになる。クラ-スナヤは古語では美しいの意。この建物がクレムリンの入口だと思っていたら、なんとこれはグム百貨店。現在、公用の入り口になっていて、政府要人・外国の賓客が大型リムジンに乗って通過する。私たちは入れないらしい。

モスクワ市内見学 7月23日

クレムリンってどこ?ガイドブ
ックがないものだから良く分か
りません。写真はいっぱい撮っ
たけど・・・

聖ワシリー聖堂

イワン雷帝がカザンの汗(ハーン)を降したのを記念して、ポストニクとパルマの2人に命じて作らせた。真中に47mの葱坊主1本、周囲を8本のねぎ坊主がばらばらに配置されているが、この不均衡が面白く、完成したとき、そのあまりの美しさに、二度とこんな美しい建物が出来ないように二人の目をくりぬいてしまったという。工事中でミーニンとポジャルスキーの像が見れなかった。

スパスカヤ塔

 クレムリンが城砦として
の意義を失い始めた
17世紀
の始めに時計が取り付けら
れた文字盤の直径は
6.12m
在も正確な時を刻んでいる
。(鐘は
15分後とに鳴る)

ああーカメラが・・・

クレムリンの入口でセキュリティチェックがあ
って、大切な1Dsを取り上げられてしまいまし
た。ショック!返してくれるのでしょうか?

パイと間違えられたか?軍が管理しているような
ので心配。

宮殿兵器庫

ナポレオン軍から奪った875
の古風な大砲が飾られている。

ロシア連邦大統領府18世紀末に
築かれた宮殿ロシア古典様式の
典型とか。かつてレーニンが居
所とした3階の3つの小さな部
屋で慎ましやかな生活を送った
。そのまま保存されているが未
公開。旗が掲げられている時は
大統領がクレムリンにいる

大砲の皇帝 16世紀末にアンドレイ・チョホフによって鋳造された砲で口径890mm、40t。かつてスパスカヤ塔に通じる道に設置された。当時世界最大の口径。大砲の前の弾丸はかざりで、19世紀に作られた。

イワン雷帝の鐘楼(左)

イタリアの建築家フリアツィン
15051508年にかけて本体を
建て、
15321543年にかけて八
面体の鐘楼を付け加えて完成。
ナポレオンがモスクワから敗退
する際に鐘楼の爆破を命じたが
18個の鐘は残った。1992年の
復活祭を機に教会として機能を
再開した。高さ
81m。イワン雷
帝の頃はこの塔以上に高い建物
はなかった。

鐘の皇帝 173335年、イワン・マト-リンミハイル親子の作。高さ6m・重さ200tの世界最大の鐘。鐘は未完成。鐘を鋳造中に火災が発生し、火を消そうと水をかけたため鐘にひびが入り、一部分が欠け落ちてしまった。欠片だけでも11トンある。だれも音を聴いたことがないので、近頃コンピューターを用いて鐘の音を再現してみたが、あまりよい音ではなかったそうである。

ウスベンスキー大聖堂(左)

イタリアの名匠の設計による。
当時モスクワのライバルだった
古都ウラジミールの大聖堂を模
倣した。
1479年完成。かつてツ
アーリが戴冠式に臨み、モスク
ワ総主教が葬儀に付された。壁
と屋根はイコン画で飾られてお
り、その数は
1000人に及ぶ。中
でも見ものは聖ゲオルギー像と

13
世紀〜14世紀の三位一体像と
か。更に、ナポレオン軍が敗退
の時盗み出した
300kgの金と5t
銀を奪い返して作ったとされる
銀のシャンデリアがある。

アルハンゲルスキー聖堂(右)


大天使ミカエルを奉った初めての石作りの教会で、歴代のツアーリの遺体安置所となっていて、全部で
48もの棺が堂内所狭しと並べれている。イワン雷帝に息子のイワン・フョードルなど。最古のものは1340年没のイワン・カリタ公のもの。イタリア人の設計。

パトリア-シェ宮殿(上2つ)

ロシア正教の総主教の宮殿。17世紀に宗教改革を断行し
たロシア総主教ニコンによって建てられた。現在は
17
紀ロシアの工芸博物館として使われ、書籍・器・家具な
ど生活に密着した品々が展示されている
.。

十二使徒聖堂

ニコン総主教によって165556
年に建築された教会イタリアな
ど外国の影響を嫌い、純ロシア
的なこの教会を総主教の礼拝所
として使った。

大クレムリン宮殿 かつてクレムリン南西部のぼろヴィッ
ツカヤ丘にクレムリン宮殿があり、皇帝が
4階に住んでい
て玉座の間の中央の窓は「嘆願の窓」と呼ばれていて、こ
こから吊るされた長い紐の端に箱がついていて願い文を入
れることが出来た。箱は「ドールギ
ー」(長い)とよば
れたが、それはこの嘆
願書が壮麗な文章に満ち溢れ、
異常に長かったからだとか。


1812
年この宮殿が焼失し、同じ場所に大クレムリン
宮殿が建設された。グラノヴィタヤ宮殿・皇后の黄
金部屋・チェレムノイ宮殿などの建物を組み込み、
700の部屋は2万本のろうそくで照らされた。1934
の改築で
3000人収容のソ連最高会議場(現ロシア国
会議場)が建設された。現在、外国政府要人・国家
元首との会見に用いられている。一般には非公開

武器庫

16世紀に鎧や兵器を製作・保管
する武器庫として建てられ、

1702
年、ピョートルT世の命令
によって博物館になった。ロシ
アの工芸美術品・王冠・王笏類
の他、ロシア帝国が得た戦利品
が展示されている武器庫は撮影
40ルーブル取られたけど、お
値打ち品。

昼食はこんなレストランで
(左)入り口にある像です。

モスクワ川から見たクレムリン
(上、下)

大クレムリンやイワン雷帝の
鐘楼・アルハンゲルスキー聖
堂などが見える

ノヴォデヴィッチ修道院

 現在は女子修道院。
1524年、ワシリーV世
がモスクワとスモレン
スクの連合を記念して
建てた。元来はクレム
リンの出城だった。
16
世紀末モスクワ川を渡
って攻め込むタタール
軍を
12の望楼から発見
し撃退した。
17世紀に
はポジャルスキーがリ
トアニアの侵入を食い
止めた。

ここから宮殿を出るまではコ
ンパクトデジカメで撮影する
ことになる。明るいところで
は問題ないが、屋内に入ると
問題となる。撮影しにくい。