サンクトペテルブルグはフィンランド湾に流れ出るネヴァ川のデル
タ地帯に発達した町で、現在の人口は470万人。ネヴァ川の支流や
運河を含めると65本の川と100以上のしまがある。これらは365の
端によって結ばれ、「北のヴェニス」とも呼ばれる水の都。公園と
広場、そして宮殿跡も多いことから「北のパルミラ」とも呼ばれる
。
静かに佇む近世の古都は、動乱・革命・戦争・包囲と悲惨な歴史
を秘めている。ロマノフ王朝の舞台が、ピョートル大帝によってこ
の地に写されてからは、近代ロシアの発展を導く首都となった。また
、帝政ロシアの歴史をくつがえした革命発祥の地としても名高い。
サンクトペテルブルグ・ペトログラード・レニングラード・サンク
トペテルブルグと移り変わった町の名は、それぞれの時代の栄光と
名誉を今も保つ。
街の中心には美観を考慮して建てられた18・19世紀のバロック・
クラッシック様式建築が激動の時代を超えて残されている。
ロストラの燈台柱へ
柱の台座には5mほどの彫刻像が据えられ
ている。これはロシアの4つの川、ヴォル
ホフ・ネヴァドニエプル・ヴォルガをあら
わしている。祭日には柱の上のランプに灯
がともされる。
宮殿広場へ
冬の宮殿エルミタージュ・半円形の凱旋アーチを備えた建物などで囲まれ、美しい調和を見せる広場.広場の中央にはアレクサンドルの円柱が立つ。高さ47.5m直径約4m、重さ600t1812年、対ナポレオン戦争勝利を記念して作られた。完成は1834年。何の支えもなく、自重だけで立つ1枚岩の花崗岩。
イサク聖堂
金色の円屋根を悠然とかかげているロシア正教の聖堂。世界で
3番目に大きい。長さ111.2m、幅97.6m高さ101.5m、1万4000
人収容。建築には1818年から40年間が費やされた。湿地帯に
大きな建物を建てるので工事は難航した。特に43mの高さにあ
るクーポルのまわりの24本の柱の設置だった。クーポルには
100kg以上の金が使われている。中央クーポルに描かれたカー
ル・ブリュロフの作品は見ごたえがあるとか。62点に及ぶモ
ザイク画も必見。展望台にも出れる。
マリンスキー宮殿(現市庁舎)
アレクサンドリンスキー劇場(上)
オストロフスキー広場(上、左)
劇場の向かいの公園にはエカテリー
ナ女帝の銅像がありました。
いよいよエルミタージュ美術館に入ります。
ロシアが世界に誇る超一流の美術館。歴代ツアーリの住まいであった「冬の宮殿」と4つの建物が廊下で結ばれて構成されている。1050の部屋に300万点もの絵画・彫刻・発掘品などが収蔵されている。大英博物館・ルーブル美術館にも劣らないスケールを持つ。その量だけでなく、内容も一流。その建物も実に見事。帝政ロシアの財力をつぎ込み、全世界から最高級の材料を取り寄せ、一流の職人を招いて作らせた内装と装飾品の数々。
エルミタージュのコレクシ
ョンは、ピョートル大帝の
娘エリザヴェータ・ペトロ
ヴナ女帝によって始められ
た。その後、エカテリーナ
U世は4000点以上の絵画
を西洋から買い集めたと言
われる。
エカテリーナUの馬車(上)
エカテリーナが戴冠式で使った
馬車。樫の木 赤いBロードに
銀糸織り。フランスから取り寄せた
モザイクの床(上)
イタリアのローマで作られる
手巻時計 水曜日のみ動く。
印象派の作品がいっぱい
ルノアール、ゴッホ、
ゴーギャン
マチス、ピカソの絵もある。
エカテリーナの黄金の間(左)
夕食後、勇んで出かけようとしたもののガイドブックが無い
のでどこへ行けばいいやら。皆さんと相談して、グランドホ
テル・ヨーロッパで待ち合わせて帰ることに。さすが5星の
ホテル。折角だからトイレをお借りしました。さあ、出発。
カザン聖堂
無名の建築家ヴォロニーヒンよって
設計され、1801年から10年かけて建
てられた。ネフスキー大通りに向け
て広げられた半円形回廊には94本の
コリント様式の柱が並んでいる。聖
堂が完成した後にロシアはナポレオ
ン戦争に勝利した。聖堂の中にフラ
ンス軍から奪った数本の軍旗が飾ら
れているらしい。
キリスト教復活教会
1881年3月1日、テロリストの一人グリネヴィッキーの手製
の爆弾によって皇帝アレクサンドルUは致命的な傷を負っ
た。彼は農奴解放を行ったので、「開放皇帝」と呼ばれて
いた。暗殺未遂。同日、彼は冬宮で死去した。皇帝の26年
間の治世の記念と皇帝殺害の贖罪の印として民衆の献金で
建てられた聖堂。「スパス・ナ・クラヴィ」(血の上の救
世主)という俗称を持つ。
モスクワの「聖ワシリー聖堂」
から発想を得ている。1907年、
二コライU、皇族、廷臣の面前
で完成を祝った。
モザイク画はネステロフ、リャブーシキン他の画家たちのデッサンを基に、ペテルブルグのフローロフの工房で捜索された。内部装飾に6000u、外壁では1050uをモザイクが覆っている。美術史上、このような規模のモザイク画の例はない。(右)
どこへ行ってよいか分からないので観光船に乗ることに。とはいえ、ルーブルを持っていないので、無理やりドルを押し付けて乗船。4人で28ドル払った。運転手のお兄さんは苦笑い。モイカ運河から出発です。暑いと思うのに毛布が積んであってみなさんは利用してた。(下)
ネヴァ川に出てきました。かつては冬運河と呼ばれた。3
つの花崗岩つくりの橋が架かっている。この運河はチャ
イコフスキーの「スペードの女王」に登場する。夕焼け
しています
1833年〜1850年にクロットが制作した「馬をなだめる」という主
題の4つのブロンズ像が橋台に作られた。(右上)
ペロセリスキー・ペロゼル
スキー公爵の邸宅はラスト
レッリ風バロック様式を模
したもの1884年からアレク
サンドルUの4男セルゲイ
アレクサンドロヴィッチ大
公の邸宅となる。(左)
ニコライ聖堂(上)
1753年建築家チェヴァキンスキーの設計によって起工
され、9年後に完成した。エリザベータ・ペトロ―ヴナ
女帝の治世に特有の豪華絢爛の祝祭の雰囲気を表現し
た。ニコライ聖堂は日露戦争の犠牲となった船員達の
冥福を祈る場所となった。
ニコライT世の銅像が夕焼けに映える。といっても今
は10時40分です。サンクトペテルブルグの緯度が高い
ことが良く分かるでしょ。さすが白夜が見られる北の
都市です。1時間15分の運河めぐりもおしまい、ネフスキ
ー大通りでタクシーを拾ってホテルに帰りましょう。(上)