十和田湖の子ノロから流れでる奥入瀬渓流は、奔流となって苔むした岩を
洗い、あるときは瀬を速み、あるときは淵に淀み、途中多くの滝を左右の絶
壁から迎え入れなやけがら、やがて広い河原をおだやかに流れ焼山に至る
。
静的な十和田湖の湖水美に対し、深い自然林におおわれた約十四キロ
の奥入瀬渓流には、千変万化の水の流れが生む躍動感あふれる景観が
展開する。
そして両岸に迫る断崖は、軽石や火山灰が高温の状態で堆積し、熱と自
重によって生成された溶結凝灰岩といわれるもので、奥入瀬の景観に迫力
をもたらしている。
十和田湖が流量を自然に調節することから奥入瀬渓流には大きな洪水が
起こらず、繊細で優美な独特の渓流美が昔から維持されている。
渓流のなかに露われる大小の岩々には、ツツジやカエデ類が生育し、水
際の飛沫を浴びる岩面には、なめらかな青い苔が鮮やかに見える。洪水の
心配がないため、渓流に沿って流れとほば同じ高さに車道と歩道がつくら
れ、尾根や山腹の道から渓谷を眺めるのとは、また趣の異なった景観を味
わうことができる。
十和田、奥入瀬、八甲田を結ぶ車道は、大木の梢が幾重にもかさなり大
空をおおい、さながら緑のトンネルとなる。とくに、奥入瀬渓流沿いの道は、
木の葉に見えかくれする滝や水流が奥行きの深さを感じさせる。ところどこ
ろに、トチノキやカツラなどの枯木が横たわり、朽ち果てた幹の上に幼樹が
根づき、新しい生命が再生されていく様子が見られる。 奥入瀬渓流に展
開する老、壮、青の各樹林の調和した森林美は、訪れる人々に深い感動を
与えずにはおかない。
津軽と南部を結ぶ国道394号線の最大の難所だった城ケ倉渓
谷をひとまたぎする「城ケ倉大橋」は、平成7年10月27日に開
通しました。上路式アーチ橋としては日本一の長さを誇り、谷底
までの高さも122mありますまた、四季を通して八甲田山系の
絶景も楽しむことができる橋です
。
橋長:360m
形式:上路式2ヒンジソリッドリブアーチ橋、鋼重3,430t
有効幅員:11.5m
水面下:122m
総工費:87億円
地上15階、高さ76mの正三角形ビルで、青森県の観光と物産の情報基地
。十和田湖やねぶたなどを臨場感あふれる360度マルチスクリーンで紹介
するパノラマ館や、地上51mからの眺めが素晴らしい展望台、ライド装置
が好評なエネルギー館などが見どころ。回転展望レストランや郷土料理店
、ビストロ喫茶・軽食コーナーといった各種飲食店も充実しており、青森み
やげは品数豊富な物産プラザで揃う。県観光総合案内所を併設している
ので、県内の各種情報が入手可能。
祭りの由来にはいくつか説があります。その一つは七夕祭りの灯籠流しが
変形したものとする説です。七夕まつりは七月七日の夜に、けがれを川や
海に流す禊の行事ですが、ねぶた祭も同様に七日目にはねぶた人形を川
や海へ流す習わしがあります。 「ねぶた」の名称も「眠り流し」から来ている
と云われます。青森ねぶたも明治・大正の頃までは実際に市内の 堤川にね
ぶたを流していました。もう一つは坂上田村麻呂が桓武天皇の命により、蝦
夷征伐の際、蝦夷の頭目「悪路王」を攻略するため大きな灯籠を作り「悪路
王」をおびき出し、 征伐した---このときの灯籠が伝わり、ねぶたとなったと
する説です。そして、津軽藩初代藩主・津軽為信公が京都守護のときに、大
灯籠を作って、京都の人を驚かせた。この大灯籠が起源とする説があり、い
ずれも由来とされています。
祭りは19:10からですが、場所取りが始まっています。