青森ねぶた祭りと盛岡さんさ踊り

8月1日池袋駅前に8時に集合、バスで盛岡に向かう。14:30頃盛岡のあ
さ開に到着した。

あさ開

あさ開は、明治4年(1871年)南部藩士だった7代目村井源三が武
士を辞め、盛岡で酒造りをはじめたのが創業にあたります。社名であ
る「あさ開」は、万葉集の中の歌詞にちなんだもので、「船出」の歓び
をたたえ、祝福した歌の枕詩です。

盛岡城跡
盛岡市内散策

三戸(青森県三戸町)に拠点をおいていた南部信直(なんぶのぶなお)は
、豊臣秀吉の奥州仕置(おうしゅうしおき)により、 1590年(天正18)岩手郡
などの領地7郡の領有が承認されました。信直は盛岡城築城に着手し、
1597年(慶長2)には鋤初(起工式)をしたと伝えられ、翌年の許可を受け
て本格的な築城を開始しました。また、新たな街づくりを行って、盛岡藩の
城下町として現在の都市基盤を整備しました。この地の「不来方(こずか
た)」の地名を改め、「盛岡」としたのもこの頃からです。盛岡城は北上川と
中津川の合流点の丘陵につくられた平山城です。盛岡城内は、北から勘
定所、三の丸、二の丸、本丸などで構成されていました。豊臣期の大阪城
の構造に似ており、築城にあたって、大きな影響を受けたことがわかりま
す。築城当初は本丸と二の丸の石垣が築かれ、次第に三の丸などの石
垣も整備されました。その後石垣修理もあり、石の積み方からその変遷を
知ることが出来ます。明治7年城内の建物は取り壊されましたが、花崗岩
を積み上げた荘重な石垣がほとんど残り、史跡8.6ヘクタールを中心に岩
手公園として広く親しまれています。

盛岡城跡

旧岩手県立図書館の前にある、花時計です。東北銀行の職員の方
々が水やりをしているそうです。盛岡は町を綺麗にしようとする努力
があちこちで見られる。日本のどこの都市もこのようにあって欲しい
ものです。

盛岡城跡

盛岡銀行は、盛岡の実業家が興したものの、後に金融恐慌で破綻し、のちに
設立される現在の岩手銀行へ継承された。その間、岩手県の公金取扱いを
仙台市の盛岡銀行は、盛岡の実業家が興したものの、後に金融恐慌で破綻
し、のちに設立される現在の岩手銀行へ継承された。その間、岩手県の公金
取扱いを仙台市の七十七銀行が行なったことがある。 陸中銀行は、旧盛岡
藩士の出資による「国立第九十銀行」の流れを汲むため、長らくその本店を関
連会社「いわぎんリースデータ」社屋として1992年まで使用していたが、盛岡
市に移管され、2002年から「もりおか啄木・賢治青春館」として開放されている
。 陸中銀行は1941年に、旧一関藩士の出資による国立第八十八銀行、およ
び岩手銀行と合併して成立したが、岩手貯蓄銀行との合併を経て、1960年に
改めて「岩手銀行」とした。なったことがある。 陸中銀行は、旧盛岡藩士の出
資による「国立第九十銀行」の流れを汲むため、長らくその本店を関連会社「
いわぎんリースデータ」社屋として1992年まで使用していたが、盛岡市に移管
され、2002年から「もりおか啄木・賢治青春館」として開放されている。 陸中銀
行は1941年に、旧一関藩士の出資による国立第八十八銀行、および岩手銀
行と合併して成立したが、岩手貯蓄銀行との合併を経て、1960年に改めて「岩
手銀行」とした。

盛岡城跡

社殿が盛岡城の三の丸跡にあることからみても明らかなように、桜山神
社は南部藩の総鎮守として篤く信仰された神社でした。江戸時代の文献
にも「この神社は当城万代の鎮守なり」と明白に記されています。旧県社
で、今でも「桜山さん」と人々から親しまれています。しかし第二次世界大
戦後、沢山の引揚者たちによって境内に商店や飲食店が列を連ね、盛岡
一の闇市となって神域の様子が激変したという歴史も持っているのです。

8月1日から4日間、藩政時代から受けつがれてきた「さんさ踊り」が盛岡
の夜を彩ります。踊り手2万人の浴衣姿も鮮やかに、1500本の笛や延
べ1万個もの太鼓がビル街に鳴り響きます。力強いリズムにあわせて、
勇壮でエネルギッシュな群舞は迫力満点。観客も自由に参加できます
。このさんさ踊りは、三ッ石神社の巨石伝説に由来します。それによる
と、むかし悪事のかぎりをはたらく鬼がいて、里人たちは三ッ石神社に
退治を祈りました。鬼を捕まえた神は、2度とこの里に来ない(不来方の
由来)ことを誓わせ、鬼はその証として巨石に手形(岩手の由来)を残し
て逃げました。里人たちは大いに喜び 祝い、三ッ石のまわりをサンサ、
サンサと踊ったのが始まりといわれています。

盛岡城跡

盛岡地方裁判所の構内にある石割桜は、 盛岡のお国自慢をするとき、
「石割桜こそ日本一の名桜」などといって、 よく取り上げられる珍しい桜
です。 巨大な花崗岩の岩の狭い割れ目に直径約1.35メートル、 樹齢が
360年を越えるといわれるエドヒガンザクラが生育しているのです。 客観
的なデータからいうと、幹の太さも樹齢も、 残念ながらこれという日本一
の記録は見当たりません。 しかし、巨大な花崗岩と調和した威厳ある美
しい姿と珍しさでは、 日本一といっていいのではないでしょうか。

盛岡城跡
盛岡城跡

さんさ踊りが始まる前に腹ごしらえです。関東にも多くの店舗がある庄屋です。