道の駅あつみ「しゃりん」
鶴岡カトリック教会 天主堂
松島・山寺・羽黒山

自宅までの時間と距離をカーナビに聞くと8時間で490kmあるという。

赤い屋根と白亜の殿堂で市民に親しまれている鶴岡カトリック教会天主堂。フランス人ダリベル神父の全財産と寄付により明治36年(1903)、庄内藩家老屋敷跡に建てられました。バジリカ型三廊式とよばれる造りで、設計は佐渡の両津教会や京都の旧聖ザビエル教会(現在は明治村に移築)など日本の教会堂を数多く手がけたパピノ神父によるもの。高さ23.7メートル。明治ロマネスク様式建築の傑作として名高く国指定重要文化財となっています。聖堂内には、世界でも珍しい「黒い聖母マリア像」があり、また特殊技法でつくられた国内唯一の窓絵も美しい教会です。

2010年9月24日
無事帰宅

自宅に無事到着した。道の駅は16時に出発22時に自宅に到着したので、6時間で走ったことになります。2日間の走行距離は1,270kmで平均燃費は12.1km/Lです。ガソリンは106.8リッター(13,754円)を消費しました。高速道路料金は2日間で7,100円です。従って今回の旅行の交通費は20,854円でした。

鶴岡カトリック教会を後にして、あつみ温泉に向かう。
千年以上もの間、守り伝えられてきた温海温泉の泉質は、ナトリウム・カルシウム・塩化物・硫酸塩泉。温泉街の真ん中には温海川が流れ、春には河川敷の桜が見事に咲き誇る。山に囲まれ静かな温泉街だが、車で数分行けば海もあり日本海の魚介類も味わえる。
荘内神社
羽黒山五重の塔
出羽三山 三神合祭殿
山寺立石寺
あつみ温泉
大宝館

大宝館は、大正天皇の即位を記念して建てられたもので、大正4年(1915年)10月に完成し、11月10日の天皇即位の日に開館しました。1階が物産陳列場や図書館で、2階は会議室と食堂になっていました。昭和26年(1951年)から60年(1985年)まで、市立図書館として地域の多くの人に親しまれてきた建物です。

現在は郷土人物資料展示施設として、明治の文豪・高山樗牛の生家の一部を移築復元した「高山樗牛生誕の間」をはじめとした関係資料、時代小説の第一人者・藤沢周平、「文学の神様」と称された横光利一など、明治から昭和にかけての時代に、各分野で活躍した鶴岡市出身者、または鶴岡の発展に深いかかわりのあった故人の資料を定期的に展示替えしながら、その業績を紹介しています。

羽黒山参道、“一の坂”上り口の杉並木の中にある。東北地方では最古の塔といわれ、平将門の創建と伝えられる。現在の塔は、約600年前に再建されたものといわれる。高さが29.0mの三間五層柿葺素木造で、昭和41年には国宝に指定された。近くには樹齢1000年、樹の周囲10mの巨杉“爺杉”がある。

仁王門↓

明治10年(1877年)、旧藩主を慕う庄内一円の人々によって鶴ヶ岡城旧本丸跡に創建されました。創建から120年以上を経た今も「神社はん」の愛称で、市民や近在の人々の心のよりどころとして親しまれている神社です。境内にある「宝物殿」では藩主ゆかりの武具、美術工芸品などを展示しています。

松尾芭蕉が『奥の細道』で「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という俳句を詠んだ有名な名所で 山寺は全国でも知名度の高い観光スポット。 山寺とは愛称であり、実際は『宝珠山立石寺』というのが正式名。平安時代前期、第56代清和天皇の命により、比叡山・天台宗の高僧の慈覚大師により開山された霊場。▲貞観二年(860年)に創建 慈覚大師は東北各地に寺院を建てたが、特に山寺立石寺に力を入れ、明るく正しい人を養成する道場として建てた。鎌倉時代の頃になると東北仏教界の中枢となし、一千余名による修行者の移住所となっていたようだ。戦国時代になると山内に兵火を浴び消失・衰退。延文元年(1356年)初代の 山形城(霞城公園)の城主・斯波兼頼により根本中堂を再建。現在では国指定重要文化財に指定。

国道7号線をあつみから新潟に向け南下。途中道の駅で早めの夕食です。昼抜きだったので、少しおなかがすいていた。刺身定食を頼んだが1,300円です。ノンアルコールビールも無いよりはましです。

日帰り入浴のため適当な旅館を探したところ、600円で入れる瀧の屋さんの温泉に入った。入口で日帰り入浴を申し込んだところ、600円ですと言ったようだが、相当になまっていて何といったか聞き取れない。600円を出すと、正しい反応だったようで浴室に案内してくれた。

致道館は、庄内藩9代藩主・酒井忠徳(ただあり)が、士風を刷新し、藩政立て直しの人材を育成する目的で、文化2年(1805年)に創設した藩校です。当初は大宝寺地内に建てられましたが、文化13年に10代忠器(ただかた)によって現在地に移されました。敷地は現在の約2倍もあり、矢場や馬場などが付設されていたそうです。

庄内藩校 致道館

磐梯朝日国立公園の一角をなしている出羽三山は、月山、羽黒山、湯殿山の総称であり、古くから山岳修験の山として知られています。出羽三山は、第32代崇峻天皇の皇子・蜂子皇子(はちこのおうじ)により開山されたという伝説があり、以来今日までの1400年余りの歴史の中で、独自の宗教文化を展開し、人々の篤い信仰に支えられ、羽黒派修験道として発展、存続してきました。現在も東北をはじめ関東、信越の各地域で講を組み、宿坊に泊まり、白装束で参詣に訪れる風習が伝承されています。また、往時の姿が残されている六十里越街道、即身仏信仰などの稀な習俗、黒川能などの地域伝統芸能など有形・無形の文化遺産は信仰の歴史を物語っており、その価値を裏付けるように江戸時代では松尾芭蕉、近代では斎藤茂吉などその時代の日本を代表する文学者たちが訪れ、数多くの作品を残しています。内陸部には、平安から室町期の日本最古の石鳥居群があり、この地方の人々の山に対する信仰を物語っています。最上川は、月山や吾妻山系を水源とする母なる川として、三山信仰と深く結びついた人々の生活と生業を支え、古代より農業の発展とともに、その支川も含めた沿川に農村集落をつくり、これを育んできました。