松島・山寺・羽黒山
瑞鳳殿

夕食は肉好み膳です。ちょっと量が多くて食べきれなかった。

<瑞巌寺・総門>

<参道>

2010年9月23日
秋保大滝(あきうおおたき)

名取川の水量が全て、落差55m、幅6mの瀑布となって一気に落ちる名瀑。国指定・名勝であり、華厳、那智と並んで日本3名瀑との説もある。日本の滝100選にも選ばれている。

「独眼竜」の異名を持つ戦国時代後期の大名・伊達政宗が、1610(慶長15)年に築城。以後、廃藩置県・廃城令までの約270年間伊達家の居城であり、仙台藩の政庁であった。2003年(平成15年)8月27日、国の史跡に指定されました。仙台城跡青葉城跡)には当初から天守閣がありません。伊達政宗が将軍・徳川家康に遠慮して天守閣を設けなかったといわれています。

感仙殿

瑞鳳殿は1636( 寛永13)年、70歳で生涯を閉じた仙台藩祖伊達政宗公の遺命により、その翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)です。桃山様式の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として1931(昭和6)年、国宝に指定されましたが、1945(昭和20)年の戦災で惜しくも焼失しました。現在の建物は1979(昭和54)年に再建されたものです。

<陽徳院御霊屋>

早速温泉に入ります。ここのお湯は蔵王特有の白濁した硫黄泉を、贅沢に掛け流しに致します。強酸性の蔵王の湯は、皮膚病、眼病、創傷、神経痛、リウマチ、婦人病、疲労回復など、様々な症状に効能があるとされています。お風呂は本館と別棟にあります。本館には配管の問題でお湯を引けないようです。入口に足湯があります。

松島・瑞巌寺
仙台城跡(青葉城跡)

瑞鳳殿

円通院

陽徳院御霊屋(寶華殿)は1660年に完成した伊達政宗公の夫人愛姫(陽徳院)の墓堂。万冶3年(1660)孫の綱宗によって造営され,平成18年から3年かけて創建当初の豪華絢欄な姿に復元しました。

<青龍殿(宝物館)>

<延命地蔵>

瑞巌寺は9世紀、慈覚大師を開基とする天台宗の寺院で、青竜山延福寺(松島寺)として創建され、13世紀中葉、改めて法身を開山とし、臨済宗(建長寺派)の青竜山円福寺となったと伝えられる。円福寺は、その後妙心寺派となった。慶長10年(1605)伊達政宗は衰微していた縁福寺の再建に着手し、寺号を松島青竜山瑞巌円福禅寺(松島山瑞巌寺とも)と改め、4年を費やして大伽藍を完成した。建築は全体として禅刹の風格を保ち内部に極彩色の彫刻や金碧画の襖などを収め桃山芸術の粋をつくしている。本堂・庫裏・回廊は国宝に指定されている。

部屋は1畳の和室です。

ホテル季の里

雨が降っているので、山寺には明日行くことにして、早めに予約してあった蔵王温泉の李の里に早めにチェックインしました。

正宗騎馬像の近くに立つ昭忠塔。西南の役、京城事変、日清戦争等で東北各地の将兵が多く戦死し、この死を悼み慰霊のた明治35年に建立されたもので、塔の上のトビ迄約20mある。

昭忠塔

伊達忠宗公(1599~1658)は政宗公の死去により二代藩主となり、法治体制確立、領内の安定に尽力し藩の基礎固めをなしとげました。忠宗公の霊屋感仙殿は、瑞鳳殿と同等の華麗なものでしたが、明治初年に本殿を除いて取り壊され、残った本殿も昭和20年の戦災で焼失しました。現在の霊屋は瑞鳳殿に続いて再建が進められ、昭和60年に完成したものです。

資料館です。↓

涅槃門(ねはんもん)

瑞鳳殿入り口にある涅槃門(ねはんもん)です。「涅槃」とは「煩悩を取り払った悟りの境地となる状態」を意味し、広くは「来世」という意味にもなります。瑞鳳殿の涅槃門は、樹齢数百年の青森檜葉を用いて、焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されています。

こけし工房

松島直秀こけしは、独特の女の子の素直さを表現し、みちのくのオボコ(子供)の感じを簡素ににじみ出しております。二八屋物産店では店内は所狭しとこけしが並んでおり、その一角に絵付けのコーナーがあります。

円通院は瑞巌寺の西隣にあり、仙台藩主二代忠宗の次男光宗の霊廟。 光宗は文武両道に優れていましたが,正保2年(1645)9月に19歳の若さで江戸で亡くなり, その死を悼んだ忠宗公により円通院が同年に開創され,お霊屋(三慧殿)は正保4年(1647)に完成しました。支倉常長がヨーロッパから伝えた西洋文化の影響が強く、 厨子の右扉の内部には日本最古といわれる西洋バラが描かれています。金箔の地に白・赤・緑の三色を用い、 材料には緑青やサンゴを使用しているので、永久に変色することはありません。 バラ寺の愛称で親しまれていたのは、天野明道住職が院内6000平方メートルあまりに色とりどりのバラを植え込んで開放したためです。 現在ではバラの数は少なくなり、境内いたるところにコケを配して、コケ寺として訪れる人々に安らぎを与えています。

五大堂

松島を代表する建造物である「五大堂」は、大同2年(807)、坂上田村麻呂が東征の折り、毘沙門堂を建立し、後に、慈覚大師円仁が円福禅寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、「大聖不動明王」を中央に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになりました。現在の建物は、伊達政宗公が桃山様式の粋を尽くして再建したもので、瑞巌寺に先だって建立されました。桃山建築としては、東北地方最古の建物です。

<国宝・庫裡>

瑞巌寺本堂は工事中