夏の九州を感じる旅 3日間
平成17年9月10日
熊本市内観光

水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)は細川御歴代を祀る出水
神社の敷地内に、おおよそ360年前に造られた庭園である。細川
忠利、光尚、綱利の3代にわたって造園された庭園で桃山式池泉回
遊庭園です。阿蘇の湧水で作られた池を中心にして、東海道五十
三次を模したみごとな庭園であり、国の名勝、史跡に指定されてい
ます。
筑山、浮石、松の木が巧みに配され、池のほとりには京都から移築
した茶屋「古今伝授の間」がある。

「長寿の水」は石の水盤に流水されていますが、この水盤はもともは
朝鮮の京城城門の柱の礎石であったといい、「袈裟」の銘が残って
います。細川忠興公が大いに愛され庭に置き日夕賞玩されていた
という貴重なものです。
薪能(たきぎのう)は毎年8月第一土曜日夕刻に出水神社夏祭りの
御神事として行われる能で、幽玄の世界は一幅の絵巻物のようだ
そうです。

水前寺成趣園
象嵌とは1つの金属に異種の金属をはめ込んで種々の模様を描き
出す技術で、この地方・肥後では主に鉄地に金、銀、銅を使用する
。ネクタイ・ピンやブローチ等の装飾品等に加工されるようだ。ただ
、行った店では展示してある品物も少なく、土産物屋に寄る度に何
かしらを買い求めているツアー客も、反応が鈍い模様。しかし1つ売
れていた。
肥後象嵌(ひごぞうがん)

福岡県の南西、有明海に近い柳川は、掘割(クリーク)が市内を網目
状に流れている水郷。川下りとうなぎで有名です。柳川は低湿地帯で
古くから灌漑用にクリークが掘られてありました。その後、1600年に入
国した藩主田中吉政によってお城の防備も兼ねて大規模な治水・利水
工事が行われ、現在のような掘割の姿となりました。高度成長時代に
水が大変汚れ、埋め立てられる寸前までいったそうですが、行政と市民
の努力によって再び綺麗な水を取り戻しました。その掘割を約1時間か
けて”どんこ舟”でゆっくり進む川下りは なかなか良いです^^たくさん
川下り業者がいて どこに乗るか迷うのですが、面白さも船頭さん次
第のようですので結局運まかせ、ですね(^^; 料金は乗合で¥1500(貸
し切りも有り)。

柳川舟下り

この船頭さんだけの得意技。舟舟が橋をくぐる時、船頭さんは橋の
上を通ってまた舟に戻る!

柳川 御花 【おはな】 

四代目立花藩藩主鑑虎【あきとら】が、遊息の所として建てた集景亭とい
う別邸が「花畠」と呼ばれる地域であったことから、地元の人々が「御花」
と親しみを込めて呼ぶようになったのが、ここ「御花」の名前の由来で、
西洋館・御花本館・松涛園【しょうとうえん】・殿の倉の総称とされていま
す。総面積約七千坪ある広大な敷地の周りは、四方に堀を巡らせあり、
現在は水郷柳川として、県内外の観光客が訪れる観光地として有名に
なっています。

【松涛園】

宮城県の松島を模して造られた松涛園は、豊富な水と山石、海石、
古雅な280本の翠松を配した庭園で、昭和53年には、国の名勝地
として指定されました。

【西洋館】

明治43年に立花家の迎賓館として建てられた西洋館は、明治時
代を代表する鹿鳴館風の建造物で、御花の入口正面に2階建てと
は思えないすらりとした美しい姿をあらわします。

東へ西へと1日に4回、その流れの向きを逆転させる関門海峡。狭
い所では、両岸の幅は700メートルあまりしかありません。また、両
岸の間を流れる潮流の速度は最高で約10ノット(時速18キロメート
ル)にもなります。昔も今も関門海峡は海上交通の要衝となってい
ますが、一方でこの潮流の速さが「海の難所」ともなっています。関
門海峡は、数多くの歴史上の大舞台として、その姿をずっと見届け
てきました。

 寿永4年(1185)、壇之浦(だんのうら)の合戦で平家軍は敗れ、二
位尼(にいのあま)に抱かれた安徳(あんとく)天皇が壇之浦の海に
入水し、平家は滅亡。鎌倉幕府による武家社会が始まります。慶長
17年(1612)、かの有名な宮本武蔵と佐々木小次郎との巌流島の
決闘。また、ペリー来航後の元治元年(1864)、4カ国連合艦隊が下
関を襲撃し、陥落。これにより倒幕運動に拍車がかかり、明治維新
に突入。今でも関門海峡は、一日に大小約700隻もの船が行き交う
様子が眼前にでき、潮騒と汽笛が環境省指定「日本の音風景
100選」にも選ばれています。

関門海峡