日本大正村(にほんたいしょうむら)は岐阜県恵那市にあるテーマパークである。旧恵那郡明智町の町おこしとして構想、立村された。初代村長は高峰三枝子が、2代村長は司葉子が務めた。特定の敷地内に設けられた施設ではなく、街全体(旧・明知町)として大正時代の雰囲気を保存・再現した店舗、資料館、博物館などが軒を連ねている。郵便局や銀行は実際の窓口業務も行っている。大正ロマン館、日本大正村資料館、おもちゃ資料館、大正時代館の4施設に入館するには共通入場券が必要であるが、それ以外の施設を見学するには入場料不要。

木曽路 馬篭宿
夕食

木曽路の端に位置しており、馬の背のような地形に宿場が形成されたところから、このような名前が付いたといわれています。今も、石畳の坂道に添った町並みが、往時の宿場の面影を残しています。馬籠は、また島崎藤村の生まれ故郷でもあります。

旧郵便局
岐阜・奈良・京都のドライブ旅行
駒ヶ根ビューホテル四季

中央アルプス・南アルプスにはさまれた森の中のリゾートホテル中央道駒ヶ根インターチェンジから3分、中央アルプス駒ヶ岳の基点。中央アルプス・南アルプスが望める本館。和風館は純和風の平屋数寄屋造りです。敷地内を川が流れ、風情を満喫できます。

恵那峡
11月26日
食後の入浴

自宅を朝の5時に出発。中央高速を走り馬篭宿に向かう。

ホテルに到着後もちろん露天風呂に直行です。

古くは飯高山満昌寺と称し、平安初期創立にて本尊千住観世音菩薩は、比叡山延暦寺の二世天台座主慈覚大師(円仁)(794~864)の一刀三礼の作にて厄除、安産、災難除の仏として、衆庶の崇敬最も淳く遠近参詣者群集して遂に七同伽藍を建立、周囲の偉観を呈するに至った。東方に機ヶ池、その池中の島に弁財天を祠り、その峯に白山大権現が守護神として祀られ其の麓一帯に十二ヶ寺の山内院坊を持ち、本堂は十二間四面もあって寺領三八五石にも上り、この地方屈指の霊場として仏法復興の道場として繁栄をきわめた。天正八年に明知城主の弟、遠山利景公が住持となり一層観を嵩め境内を拡張想像はかり知れない大規模な寺院であった。しかし元亀二年冬甲陽強将武田公により一宇残らず焼亡した。しかし乍不思議にも鎮主白山の森に難を避けて夜々白光を放っておられた観音様を里人は迎え、元和元年(1615)還俗された明智城主利景により橡室和尚をして再建、飯高山萬勝寺として観音様の法灯を消すことなく、現在に至っている。

飯高山 萬勝寺
日本大正村
村役場

恵那峡は約80年前に木曽川をせき止めて作られた大井ダムによってできた人造湖で、大正9年に地理学者の志賀重昴によって恵那峡と命名された。両岸には、奇岩・怪石が立ち並び、各々に名前が付けられている。春にはさざなみ公園の約200本の桜をはじめツツジや藤の花も美しく咲く。夏には濃緑に赤い恵那峡大橋が映え、秋には、モミジ、カエデなどが湖面を彩る。冬にはオシドリやムクドリなどが飛来し、バードウォッチングもできるなど、四季を通じて楽しめるのが恵那峡の魅力。