すべての橋の上で手を振ってくれる少年に出会った。船のスピードより速く走れるので、先回りをして橋の上から手を振ってくれました。左の写真の下の再生ボタンを押すとスライドショーを見ることが出来ます。

夢のように美しい国 華麗なるロシア世界遺産紀行9日間
ディナーはボルシチ

午後からはネヴァ川運河クルーズを楽しむ。市内には65の運河が流れ365の橋が架かっている。水面に映る景色は美しく特に河口のあたりがすばらしい。

ネバ川クルーズ
何が書かれているか分かりませんが、入場券です。
聖イサク大聖堂  (Исаакиевский собор)
青銅の騎士像(ピョートル大帝の像)

バスで観光に出かけます。現地ガイドはセルゲイ(世流芸)さんです。この方は日本語が上手だったが、その後の現地ガイドさんは、あまり上手ではなかった。

サンクトペテルブルグは英語ではSaint Petersburg書きます。つまりイエスから天国への鍵を預かった「聖ペテロの城」という意味です。ロシア連邦の北西部、ネバ川の河口に位置し、バルト海のフィンランド湾に臨む港湾都市。モスクワに次ぐ工業・学術・文化の中心地。1712年から1918年までロシア帝国の首都。一八世紀初めピョートル一世によって建設されペテルブルクと称し、1914年ペトログラードと改称。24年レーニンの名にちなんでレニングラードに改めたが、91年現名に改称。金属・造船・機械などの工業が発達。冬宮・ピョートル宮殿・エルミタージュ美術館などがあります。

サンクトペテルブルグ観光
朝食

ランチはエルミタージュ美術館内のカフェテリアで簡単に済ませた。

ホテルの近くに24時間営業のスーパーがあったので入りました。

2日目(5月24日)
ランチ
サンクトペテルブルグのネヴァ川沿いに建つ国立エルミタージュ美術館は、女帝エカテリーナ二世が、自ら買い集めた絵画コレクションを宮殿内ギャラリーに展示したことを発端に、今日では所蔵作品300万点を超える世界最大級の規模を誇る美術館となっています。パリのルーブル美術館の30万点、ニューヨークのメトロポリタン美術館の200万点に比べると、圧倒的な所蔵作品の多さを想像することができます。また、エルミタージュ美術館そのものも第一級の芸術品であり、その美しい建物の外観や内装は、人々の心をとらえ、館内に展示されている作品と共に、人々に深い感動を与えています。 エルミタージュ美術館に所蔵されている厖大なコレクションは、ルネサンスから現代に至る西欧絵画、シルクロードやスキタイの出土品、ロシア民族文化など、きわめて多岐にわたっており、そのような作品を所蔵するエルミタージュは、歴史の歩みをうつす鏡ともいえるでしょう。

聖イサク大聖堂は、ロシア、サンクト・ペテルブルク中心にあるロシア正教会の大聖堂。ドームは全高101.5メートルの偉容を誇る。聖イサーク大聖堂、聖イサーク寺院とも表記される。聖イサアク大聖堂の名称は、ピョートル大帝の守護聖人、ダルマチアの聖イサク(聖イサク・ダルマツキー、w:Isaac of Dalmatia)に由来する。

デカブリスト広場の中心にあるピョートル大帝(在位1682~1725)の像です。エカテリーナ2世(在位1762~1796)が1782年に建造しました。その背景としては次のような事情があります。1682年8月7日、モスクワのクレムリン、ウスペンスキー聖堂でピョートル大帝の戴冠式が行なわれました。そのちょうど百年後、1782年8月7日、ここサンクトペテルブルクで、ピョートル大帝戴冠100周年を記念し、ピョートル大帝の騎馬像の開幕式が行なわれたのです。像の制作者、フランス人ファリコネはエカテリーナ2世にわざわざ招かれたのでした。この像は19世紀にプーシキンによって「青銅の騎士」と名付けられました。現在でも、デカブリスト広場の象徴となっています。デカブリスト広場はエルミタージュ美術館から道路一本を挟んで、すぐ西側にある広場です。
 ちなみに、ロシアの首都は1712年にピョートル大帝によってペテルブルクに遷都されるまでは、モスクワでした。ロシア革命後の1918年に再びモスクワに遷都され、現在に至っています。

血の救世主教会  Храм Спаса на Крови

1000ルーブルをくずすためコーヒーカップを1つ購入。

ホテルの周りを散策

朝食は朝7時からです。一般的なバイキングスタイルです。

エルミタージュ美術館  Эрмитаж

恐ろしい名称を持つ教会です。文字通り、「血」の教会なのです。農奴解放令(1861年)を出した「解放皇帝」アレクサンドル2世は、1881年3月1日、この地で革命家によって爆弾を投げつけられ、暗殺されました。そして、この教会はアレクサンドル2世を弔うために、その暗殺地点に建てられた教会なのです。瀕死の皇帝が運河の欄干にもたれて言った言葉は「寒い、寒い、宮殿へ運んでくれ。そこで死ぬ」であったという。エルミタージュ美術館(宮殿)から東へ1キロ足らずの所にあります。
 1883年から建設が始まり、1907年に完成しました。帝政側にとっては、この教会はアレクサンドル2世を弔う教会です。だからでしょうか、ソ連時代には教会としては使用されませんでした。ジャガイモの倉庫として利用されたのです。だから、「ポテトの上の教会」と呼ばれていたようです。血の上の救世主教会は、グリボエードフ運河のそばに建っているネギ坊主です。