寺泊を後にして良寛記念館のある出雲崎町へ向かいます。右側は日本海です。冬の日本海は荒れています。しかしここは新潟県です。なぜか雪が降っていないのです。ここまでのところスタッドレスタイヤは不要でした。
良寛は、宝暦8年(1758)出雲崎の名主山本家(橘屋)の長男として生まれました。山本家は代々名主職であり石井神社の神職も兼ねていました。良寛記念館は、良寛生誕200年を記念して広く浄財を求め昭和40年に完成したものであり、東京工業大学の谷口吉郎博士(芸術会員)の設計によるものです。館内には良寛の遺墨、遺品、文献等が数多く展示されています。館の南には、橘屋の墓地があり、さらに北の丘の上には良寛の歌碑があります。ここから望む佐渡は、「新潟景勝百選」の1位に選ばれました。向かいに佐渡、右手に弥彦山、眼下に良寛堂、出雲崎漁港、そして海岸線に続く妻入りの街並みを見ることができます。
朝食はバイキングです。
順動丸は文久2(1862)年に江戸幕府が英国から15万ドルで購入した蒸気外輪船、いわゆる「黒船」です。「龍馬伝」第18回「海軍を作ろう!」の冒頭にも登場しているように、坂本龍馬や勝海舟を載せた船でもあります。元々は幕府の輸送船として要人を運んだりしていたのですが、戊辰戦争下では武器や兵の輸送に利用されました。そして、慶応4(1868)年5月24日、寺泊沖で停泊していた順動丸は、不意に現れた薩摩藩の乾行丸と長州藩の丁卯丸の急襲を受け、寺泊の沖合で座礁しました。この時、乗組員は全員脱出。ですが、船を敵に利用されるのを防ぐため、その翌日、自爆しました。
弥彦から寺泊方面への県道沿い。道の駅国上(ふれあいパーク久賀美)の裏に2005年10月23日に足湯がオープンした。2006年3月20日に分水町は吉田町、燕市と合併することになっており、分水町の閉町記念事業として作られたものである。京都の大江山の鬼の酒呑童子が分水町にある国上寺で修行したという伝説にちなんで「酒呑童子の湯」と命名された。無料なので15分ほど使わせて頂いた。
今回からホテルの評価を行っていきます。下のじゃらんネットのクチコミ評価では4.8が付いています。5点満点で3が普通という評価です。小生の点数は右の通りです。クチコミの夕食の評価が低いように思います。
評価項目 | 白玉の湯 華鳳 |
部屋 | 5 |
風呂 | 5 |
料理(朝食) | 4 |
料理(夕食) | 5 |
接客・サービス | 4.5 |
清潔感 | 4.5 |
合計 | 28.0 |
平均点 | 4.7 |
おまけ | ビール、つまみ 饅頭、買い物券 |
雨が降っていたがちょっとだけ庭に出てみた。
地元の製品が展示されていた。
雨も降っていることだし早めに旅館に行くことにした。旅館は妙高高原の赤倉温泉にあります。妙高高原と言うことは雪が降っている可能性が高い。予想通り途中から路面に雪が積もったところに入った。上信越自動車道です。タイヤチェーンかスノータイヤを履いているかどうか途中でチェックがありました。
寺泊名物の魚の市場通り。角上魚類、寺泊中央水産、山六水産、寺泊浜焼センターといった大型鮮魚店が国道沿いに複数の店を出して賑わう。寺泊や出雲崎などに揚がる地物が購入できる。
海上に浮かんだ八角形の建物が珍しい。なじみのある水族たちが、コンパクトに展示されている。海上にあるからといって海の生物だけの展示ではなく、むしろ淡水生物の展示にはかなり力を入れている。1階にピラルクーのいるアマゾンの大水槽と淡水熱帯魚のコーナーがあるうえに、2・3階の屋内部は、半分以上が淡水系の展示で、両生ハ虫類や日本の淡水魚にも及んでいる。
水族館の入り口でかめをお風呂に入れていた。熱帯のかめで風呂が好きだという。
後平野の中央にそびえ立つ弥彦山の麓に鎮まります弥彦神社は、古くから「おやひこさま」と呼ばれ、心のふるさと、魂のよりどころとして多くの人から広く親しまれている神社です。御祭神は天香山命「アメノカゴヤマノミコト」で神武天皇の命を受け、住民に海水から塩をつくる技術、漁、稲作など農耕術などの基礎を教えられたとのこと。神社の社殿は、明治の大火に炎上し、大正5年に再築されました。この程、平成大修営事業として、本殿の御屋根葺替え等85年ぶりの改築工事を行いました。
2日目は200kmぐらい走る予定です。初日は500km以上走ったので、それに比べると楽です。