St.Julians地区を散策
ランチ

1574年に完成した騎士団長の宮殿。騎士団長ピエトロ・デル・モンテが命じ、ジローラモ・カサールが設計した。19世紀にイギリス総督官邸として使われ、現在は大統領府。騎士団は厳格な階層社会だったため騎士団長の権限は絶対だった。ロードス島を追われてからも、騎士団はヨーロッパ各地にある領地、病院、修道院を地域ごとに管理し、それらを本部で統括していた。1階には中庭を囲んで、兵舎、厨房、貯蔵所、会計事務所、馬小屋などが置かれていた。

ヴァレッタの町へ続く、一番大きな城門。1968にイタリア人建築家の設計により再建されたもので、ここからメインストリートのパブリック・ストーリーが始まる。

地中海中央部に位置するマルタ共和国。ヨーロッパとアフリカの間に位置する島国であることから、古代から常に戦いの要塞となり、多くの民族や文明、勢力が行き交って来た。マルタは歴史のエピソードや謎に富む遺跡が多いのが特徴。島の北東に位置する岩山に造られた首都ヴァレッタは、街全体が世界遺産に指定されている。

ヴァレッタ市街観光 (Città Umilissima)
2日目 1月20日(火)
ディナーはホテルで

夕食はホテルでありついたが、正直言ってあまりおいしくなかった。昼のエビの方が数段良かった。

ランチはCASTILLEにてエビのグリルでした。なかなか美味しかった。

聖ヨハネ大聖堂はどこからでも見える位置にある。その名の名のルーツである6代目団長バレットの墓も大聖堂に収められている。 貴族階級出身の騎士団は長男以外の団員で構成されている。 彼らには出身地のヨーロッパ各国から豊富な資金が送られ、さらに大陸の荘園からの収入、海賊船からの略奪で巨大な財力を有していた。この財力が大理石の墓など豪華さを可能にしていた。大聖堂前はシーズンオフでも観光客で賑わいを見せている。内部の床面には375の騎士の墓が埋められ、その上は大理石の模様石で飾られている。また、見ものの一つに大聖堂内の美術館にカラバッジョの「ヨハネの斬首」がある。残念ながら美術館では写真撮影が出来ませんでした。下の写真の外観は別の天気の良い日に写したものです。

ホテルの朝食は6時30分からやっています。もちろんオープンと同時に行きました。朝食の後ホテルの周りを見てまわりました。

アッパー・バラッカ・ガーデン Upper Barracca Garden
シティ・ゲート
洪水

ホテルに帰る途中、大雨です。バスはディーゼルエンジンなので問題はありませんが、道路が冠水して立ち往生をする車もありました。

マルタ島ヴァレッタのアッパー・バラッカ・ガーデンからのスリーシティズが大変良くみえます。アッパー・バラッカ・ガーデンの海側には1661年当時の柱廊が残り、イタリアの見晴台と呼ばれて19世紀まではイタリア人騎士団員休憩所として使われていました。真下のグランドハーバーと対岸がよく見えます。マルタ島のシティゲートやインフォメーション、聖ヨハネ大聖堂などからも近いので忘れずに早めに観光される事をお勧めします。ここで対岸を見てから観光を考えるのもよいかもしれません。ここには公衆トイレがあり、庭園入口ゲート横にはレストランもあります。マルタの必見ポイントの1つです。しかしあいにくの雨と風でロクに写真も撮れませんでした。

聖ヨハネ大聖堂
騎士団長の宮殿
聖エルモ砦

聖エルモ砦は、ヴァレッタの街の最先端に位置する。グレート・シージの際は、激しい攻防の末にオスマン・トルコの手に落ちた。その際、600名の騎士と8,000名のトルコ軍兵士が命を落としたとされる悲劇の舞台である。第二次大戦中もナチスやイタリアの標的にされた文字通り傷だらけの砦。現在、土日のみオープンしており、砦の一角には戦争博物館もある。

地中海に浮かぶ島なので、雨は心配していなかったが、それが間違いであるということは、この後思い知らされることになる。