鎌倉を歩く
金沢街道

観光客で賑わう鶴岡八幡宮を東に行くと、鎌倉と横浜・六浦をつなぐ金沢
街道が続く。古くは「六浦路」と呼ばれ、六浦の商人が塩や海産物を運ぶ
塩の道≠ニして栄えた街道だ。周辺は山深く、入り組んだ谷戸の中にひ
っそりと古刹が佇む。鎌倉で最も古い歴史を誇る寺・杉本寺や、竹の庭で
有名な報国寺など、味わい深い風情の寺が多い。奥へ分け入ると木々の
さざめき以外物音ひとつしないことも珍しくない。

杉本寺

天平6年(734)光明皇后の寄進により、行基が開いたと伝える、鎌倉で最も
古い寺。源頼朝により建久2年(1191)再建された。金沢街道に面して長い
石段の参道が続き、両脇に白い奉納幟がいくつも掲げられている。石段の
中程に書院や庫裏、仁王門を過ぎると頂上に茅葺きの観音堂が建つ。本尊
は3体ある十一面観音立像。開基の行基、恵心、慈覚の3人による作とされ
る。裏山には、三浦氏の一族が築いた杉本城跡が広がる。坂東33観音霊
場の第1番。

報国寺

足利、上杉両氏の菩提寺として栄えた臨済宗寺院。開山に仏乗(ぶつ
じょう)禅師を迎え、建武元年(1334)足利尊氏の祖父家時が建立したと
伝える。山門から本堂までは石庭を配した参道が続き、本堂右手には
新築の迦葉堂、裏手に開山塔の休耕庵跡がある。ここは仏乗禅師が修
行や詩作を行った場所で、今は有名な竹の庭となっている。裏山には
足利一族の墓とされる大きなやぐらが建つ。

浄妙寺

文治4年(1188)鎌倉幕府の重臣である足利義兼により建立されたという
。当初は極楽寺と呼ばれる真言宗の寺院で、義兼の子義氏の時に臨済
宗となり寺名も浄妙寺に改名。足利氏が栄えた室町時代は23の塔頭を
備える大寺院だった。現在は宝暦6年(1756)に再建されたと伝える本堂
、それに客殿、庫裏、収蔵庫からなり、本堂左手に枯山水庭園、茶室喜
泉庵もある。鎌倉五山第五位。境内は国指定史跡。

石窯ガーデンテラスでランチ

浄妙寺境内の高台に、80年近い歴史を刻んだ洋館を改装して、石窯で焼くパン
を提供するカフェ&レストランとして2000年5月にオープンしました。客席からは、
ガラス張りのパン工房でパンが作られていく様子をみることができます。またガ
ーデンテラスでは、庭に咲く四季の花を眺めながらお食事・お茶を味わうことが
出来ます。スペシャルランチと鎌倉ビールを注文した。

弘安2年(1279)一遍上人に帰依した作阿上人によって開かれた時宗の寺。サ
ルビアの花が彩る境内には一遍上人の銅像、元禄年間に再建された本堂が
建つ。本尊は阿弥陀如来と脇侍からなる阿弥陀三尊立像。別名頬焼阿弥陀
≠ニ呼ばれ、国の重要文化財に指定されている。本堂横の地蔵堂には、供物
の塩を嘗めるという塩嘗地蔵(しおなめじぞう)が祀られる。

光触寺
十二所神社 (じゅうにそんじゃ)

 金沢街道沿いの山すそにある神社。勾配の急な石段を上ると、石造りの
鳥居、その奥に茅葺きの木造社殿が杉林に囲まれて佇む。創建は弘安元
年(1278)。かつては熊野十二所権現社と呼ばれ、光触寺の境内に鎮守社
として祀られていたという。後に里人の手により現在の地に移築された。

鎌倉は3方を山に囲まれているので、外部と往来するために幕府が作った道が「
切り通し」です。簡単に外敵が侵入できないように、わざと険しく越えにくくなって
います。名越(なごえ)切り通し、朝比奈切り通しが、当時の雰囲気を保っていま
す。また釈迦堂切り通しは、岩肌をくりぬいた壮大なトンネルです。

朝比奈切り通し

康平6年(1063)源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して、由比ガ浜付近に
祀ったのを起源とする。治承4年(1180)鎌倉に入った源頼朝が現在の場所に
移したが、建久2年(1191)火災により焼失。翌年社殿を建て直し、現在の鶴
岡八幡宮となった。三ノ鳥居、太鼓橋を過ぎると左右に源平池、さらに流鏑馬
(やぶさめ)の馬場や舞殿があり、正面石段の上には本宮が控える。

鶴岡八幡宮

舞殿は修復工事中でした。↓