アクロポリスからの眺め

アクロポリスの丘の北側ぎりぎりに立つ神殿で、一番目を引くのは柱として屋根を支える6体
のコレー(乙女)像。カリアティディスと呼ばれ、高さは2.3m。1体はパルテノン神殿の彫像と一
緒に大英博物館に拉致。残り5体も近年空気汚染のため破損がひどくなったので複製と置き
換えられ、現在アクロポリス博物館で展示されています。
この神殿には次のような神話があります。
アテネの初代王は蛇の足を持ったケプクロスで、彼の国ケクロピアの守護神を決めることに
なりました。海神ポセイドンと知恵の女神アテナが立候補して、それぞれが贈り物をして喜ば
れた方が守護神になることになり、まずポセイドンが三つ又の矛をアクロポリスに突き刺して
エレクテイスという海水の泉をわき上がらせ、続いてアテナ女神がオリーブの樹を生やしまし
た。ケプクロスはアテナ女神を選び、国の名もアテナイと改めました。

エレクテイオン

朝食は7時からです。まだ眠い。

11月18日(2日目)

やっとホテルに到着。ベッドに入ったのが深夜の4時でした。

BA-634でロンドンからアテネへ向かいます。また食事が出ました。3時間半かかりました
がやっとアテネに到着。深夜の2時です。ツアーの参加人数は28名ですが、トランクが2つ
出てきませんでした。

ロンドンに到着。12時間かかりました。

ブリティシュエアーのBA-008でロンドン経由アテネに向かいます。機内では食
事が3回出てきました。機内食としては中々おいしかった。

頂上にはテミストクレスの築いた城壁跡と、白い大理石で作られたフィロパポスの記念碑があります。フィロパポスはAD100年頃の執政官で、アテネ市民に慕われて、この記念碑は彼の死後彼を称えて建てられました。頂上付近にはほとんど木が無いため、ここからアテネの街を360度眺められます。

ヘロデス・アティコス音楽堂

朝食の後ホテルの周りを散歩しました。日曜日なので教会ではミサが行われていました。

ギリシャ世界遺産紀行9日間
パルテノン神殿

まず最初にある狭い石積みの門がブーレの門。前門の防御のためにAD280年ごろローマ人が建設したもので、考古学者ブーレによって調査されたためこの名が付いています。ブーレの門から前門へと続く階段の左側にある巨大な台座は、アグリッパの記念碑。ローマ皇帝アウグストゥスの婿のアグリッパが戦車競技に優勝したのを記念して造られ、かつては台座の上に戦車像が載っていたそうです。

古代ギリシア時代にアテナイのアクロポリスの上に建設されたアテナ神を祭る神殿。現在残
る神殿はペルシャ戦争後に建設されたもので、長さ68.7m、幅30.6mの周柱式神殿。通例、処
女神殿と訳されるが、古代ギリシア語では、パルテノスは単に若い娘を意味する。古典時代
のギリシア建築の傑作のひとつ。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

アクロポリス・パルテノン神殿 Parthenon
大統領官邸  Presidential Residence

アクロポリスのすぐ傍には古代アゴラが広がって
いる。アゴラとは広場の意味らしい。古代アゴラ
の遺跡は結構その年月を物語るかのように崩壊
が進んでいて、ヘファイストスの神殿(テッシオン
)ぐらいしか、かつての姿を残している建物がな
い。

ヘファイストスの神殿
11月17日(1日目)
フィロパポスの丘

ペルシア戦争勝利を感謝して、アテネの守護神アテナに捧げられた神殿で、BC447年に起工
、BC438年にアテナの祭神像が完成、その年のパンアテナイア祭に落成式が行われました。
全体の完成はBC433年。基壇は幅約31m、長さ約70m、高さは約10.5m。正面と後ろは8
本づつ、両横から見ると17本づつ、計46本のドーリア式の柱が取り巻いており、正面と後ろ
にはさらに内側に6本づつ柱が立っています。内陣は壁で囲まれており、中には東から前房、
内室、乙女の間、後房の4部屋がありました。現在は眩しい白亜の神殿ですが、かつては外も
内も彫刻も色鮮やかに塗られていました

チケットチェックを抜けアクロポリスへの坂を上る途中、右下にヘロデス・アティコス音楽堂があり
ます。前述のパナシナイコ・スタジアムの改修もした富豪、ヘロデス・アティコスが寄贈した
5000人収容可能な音楽堂で、かつては戦争でぶんどった船の帆や柱を使って作った天井があっ
たそうです。1961年に修復され、現在では夏にアテネ・フェスティバルとして、演劇や音楽会が上
演されています。

国立庭園の東側の道に面し、絵のような民俗衣装の制服フスタネーラを身につけた衛兵が立って
います。

パナシナイコスタジアム Παναθηναϊκό Στάδιο
リカベトスの丘

リカベトスの丘の頂上には、アギオス・ゲオルギオス教会、レストラン、カフェ「ディオニソス・ゾナース」があり、ここからアテネ市内を一望に見渡すことができる。

巨大な柱が立ち並んでいるのはゼウス・オリンピア神殿。紀元前6世紀初めごろには既にゼウスの聖域と
して神殿が建てられていました。BC530年に僭主ペイシストラトスがドーリア式の巨大神殿に建て替えよう
としたが工事は中断。BC174年にセレウコス朝のアンティオコス4世が今度はコリント式で建設をはじめま
したが、再び中断。そしてAD124年にハドリアヌス帝によって工事が再開、AD129年に104本の柱が並ぶ超
巨大神殿として完成しました。その後ゴート族の侵入によって破壊され、現在は15本の柱が残っています

ゼウス・オリンピア神殿
前門 プロピュライア
ブーレの門

アテネにある競技場で、近代オリンピックが初めて開かれた場所でもある。古代オリンピックにな
らい、トラック(1周330m)の直線が極端に長く、コーナーはヘアピンカーブ。総大理石造りのスタン
ドは4~5万人収容可能です。

ディオニッソス劇場

古代アテネでは紀元前6世紀ごろからアゴラに
て演劇が行われていましたが、木造の桟敷席
が崩壊する事故が起きたことから、紀元前5世
紀半ばにリュクルゴスによってディオニッソス(酒
・演劇の神、ローマ神話のバッカス)の聖域であ
った現在の地に石造りの劇場が建設されました

15000人収容できる大きな劇場で、アイスキュロ
ス、ソポクレス、エウリピデス、アリストパネスと
いった有名悲劇・喜劇作家の多くの作品がここ
で初演されました。

前門は名建築家ムネシクレス作で、中央、左右の3棟からなります。中央は正面に6本のド
ーリス式円柱が並び、左右には3本づつイオニア式の柱が並んでいます。奥には門扉が5
つありました。かつては柱や壁一面に金粉が塗られ、大理石で作られていた天井は空色に
塗られていたそうです。